【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

“バッタの子孫”の活動録/前野ウルド浩太郎(13/30)_学究達=447

2023-05-03 05:30:29 | 冒険記譜・挑戦者達

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成5年05月03日<ⰧⰊⰧ
◆ 明治政府軍が、徳川幕府に「お前はもう、死んでいる」と宣告(1868年=無血開城=)。 その79年後に、メリケン様による占領軍が「国民が主人公」の憲法を施行し、明治政府に「お前はもう、死んでいる」と宣告(1947年)。因果は巡る。 ◆ ネットを通じて誰もがスパムを食べさせられる事件が発生(1978年=スパムメール=)。犯人はスパム帝王と呼ばれたデブではないので念のため。 ◆ 朝日新聞が天皇陛下のために記者一人を生贄にささげる(1987年=赤報隊事件=)。

本日記載附録(ブログ)

アフリカでしばしば大発生し、ユーラシアの農作物に深刻な被害を及ぼすサバクトビバッタ。

防除のために巨額の費用が投じられているが、未だに根本的な解決策は見出されていない。

『バッタを倒しにアフリカへ』と単身、西アグリカ・モーリタニアに渡った日本人がいる。

”愛するものの暴走を止めたい”と語る前野ウルド浩太郎、秋田市土崎港出身の人である。

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

“サバクトビバッタの相変異” の解明が世界を救う

前野ウルド浩太郎(13) ◇◆ 第5回 バッタとバッタ博士といたサハラ砂漠の「幸せ」な時間について =1/3= ◆◇

 2013年の7月から8月、モーリタニアのサハラ砂漠では雨が降った。

 それに伴い、サバクトビバッタも出現した。

 ぼくがモーリタニアを訪ねたのは11月。前年の干ばつが嘘のような曇天の中で1泊2日のフィールドへと連れて行ってもらった。

 そして、研究所を出てから、わずか数時間後には、「これ、見てもらいたかったんですよ!」と前野さんが言う、幼虫のマーチング・バンドと遭遇していたわけだ。

 これをもって幸運! といえば幸運。いや、これを見に来たのだから、胸を張って幸運と言ってよい。

 しかし、群生相の幼虫が行進しているのを見ると、こいつらが成虫になって空を舞い、あちこちの作物を食い荒らしたら……と心配にもなる。

 その一方で、前野さんは、はじめて野生のサバクトビバッタを見るぼくと同じほど、いや、ある意味、それ以上に興奮していた。「すげー、すげー、興味深い!」と言いながら。

「自分、3年いる中で、幼虫のマーチング・バンドとしっかり会えたフィールドトリップって、これで5回目ですから! 見るたびに、新しい発見があるッスよ。すげー!」

 以下、ぼくが前野さんと一緒に、野生のサバクトビバッタといた「幸せ」な時間について述べたい。

 幼虫の群生相の行進といきなり出会い、スズメバチみたいな色、質感、サイズの生き物がアリみたいに行進している、みたいな感想を抱いたのは述べた。

 一方で、前野さんが非常に感心していたのは、まず「今まで、イメージ的に同じ齢期、つまり同じタイミングで出てきて孵化した幼虫が一緒になっているのを想定してたんですけども、こういうふうに違うステージの幼虫がワーッといっぱい混ざってるっていうのが、はじめてでして、すごい面白いな」ということ。サバクトビバッタの幼虫は同じ時に孵化したものが、そのままずっと一緒にいるように思われてきたそうだ。

 また、「昼間から、シェルターの草木に留まっているのが多いですね。夜とかには、みんなこういうとこに留まるんですけど、昼間からというのはあまり見ないです」というのもあった。

 ひょっとすると、前日が雨で、その日も曇天。それほど気温が上がっていなかったことも影響していたかもしれない。

 なお、前野さんが歯磨木(歯磨きの木)と呼んでいる灌木は、地元の人たちが歯ブラシとして使っている。遊牧の民ベルベル人の末裔が作った国だけあって、砂漠に自生するこの木をわざわざ採集して、街中で売っているくらいだ。よく噛みほぐすと繊維がほどけてブラシ状になる。バッタの宿り木で歯磨きというのはなんとも素敵な習慣だ。

・・・・・・・・明日に続く・・・・・ 

…… 参考資料: バッタに人生を捧げます!!  ……

天災レベルに大発生する害虫を愛する男が行き着いた"ある場所"

33歳、無収入、職場はアフリカ / 1- 取り返しのつかない生活を送っています

私は雪国・秋田育ちにも関わらず、灼熱のサハラ砂漠でバッタを執拗に追いかけ回すことを生業にしている男です。一般に博士号を取得した研究者は、就職が決まるまでポスドク(ポスト・ドクター)と呼ばれる1、2年程度の任期付の職を転々としながら食いつなぎます。私もポスドクです。政府が2年間の任期で若手研究者を外国に派遣する制度を利用し、このアフリカ滞在中の成果を引っさげて、安定した給料が得られる常勤の昆虫学者になる可能性に賭けました。モーリタニアの国土は日本の3倍で日本人の民間人が私一人だけという孤独な環境が整っており、ありったけの財産と全身全霊を注いで研究した結果、就職はおろか次のポストも決まらず無収入のままアフリカで研究をするという無駄に苛酷な状況に陥ってしまいました(←今ココ)。我ながら気の毒な33歳なのですが、このまま終わってなるものかと奮起し、無理やり活路を見出そうとしております。

ギャンブルの類は一切やらず手堅い人生を歩んできました。初めて賭けたものが「人生」という軽く取り返しのつかない生活を送っているのですが、すべては幼いころからの自分の夢を叶えるためなのです。

私は小学生のときに極度の肥満児で、かくれんぼで息が切れてしまうほど機動力に欠け、余儀なく座り込みうつむいてばかり。そんな自分の目に止まったのが虫で、彼らをじっくり見るうちにいつしか親しみを覚えるように。「好きな子の事は何でも知りたくなる心境」に陥り、いつしか虫に多くの疑問を抱き虜にされました。答えが見つからないもどかしさでいっぱいになったころ、ファーブル昆虫記に出逢い、昆虫学者のファーブルが自分自身で工夫して実験を編み出し、昆虫の謎を暴いていくその姿に憧れを抱き、将来は自分も昆虫学者になって謎を解きまくろうと決意したわけです。

33歳、無収入、職場はアフリカ / 2- 世界の平和を守るため

青森県の弘前大学で昆虫学を専攻し、その後出会った指導教官の勧めでサバクトビバッタというアフリカに生息するバッタの研究を始めました。見よう見まねで研究をすすめるうち、ファーブルのように新発見をし、論文発表することで全世界の研究者とバッタの新たな秘密を共有できることに快感を覚え、ますます研究の快楽にのめり込んでいきました。ただ、狭いケージの中で動く外国産のバッタを見れば見るほど、本来の生息地でどんな風に暮らしているのだろうという疑問が募っていきました。

自分の目にはかわいらしく映るサバクトビバッタはアフリカではしばしば大発生し、農作物に深刻な被害を及ぼす悪魔として恐れられています。このバッタによる農作物の被害は年間400億円以上に昇り、防除には2003~2005年には560億円という巨額な費用が投じられます。そのためサバクトビバッタは政治・経済が複雑に絡んだ国際的な問題として扱われ、莫大な量の研究が世界各国でされてきました。

・・・・・・・・明日に続く

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https://youtu.be/2x5eOBJ37iE  == The Strange Thing That Turns Grasshoppers Into Locusts ==

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=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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森のなかえ

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